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伯父の旅立ち

伯父が先週84歳の人生を終え、旅立った。
少し長くなるけれど、伯父の冥福を祈る意味で、ここに伯父のことを記したい。

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このブログにも一昨年「子どものいない老後」というタイトルで、しばしば書かせてもらった伯父。血のつながりがあるのは伯母で、伯父とは血縁はなかったが、幼い時から娘のような存在として愛情を注いでもらった。

子どもの頃はよく泊まりに行き、遊んでもらった。
私の友達も一緒に食事に連れて行ってくれた。
少し大人になると、私のボーイフレンドとも一緒にアメリカンフットボールを観戦してくれた。
就職の相談にのってくれたのも伯父だった。
私の最初の結婚は・・・反対した(その通りになった)。
私の就く仕事にもずっと関心を持ってくれた。
そして、再婚をとても喜んでくれた。
老い始めると「君がいてくれて心強い」と言ってくれた。
もっと弱くなると「迷惑かけてごめんな」「ありがとう」を繰り返した。
子どもがいない老後を思いきりみせつけてくれた。
そして、子どもがいない老後について考える機会を与えてくれた。

弱くなっても我が家をこよなく愛し、家から離れることに大きな抵抗を示し続けてきた伯父と伯母も、昨年の夏の終わりから介護施設でお世話になることになった。

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持病を抱え、大手術をし、何度かの入退院をしながらもぎりぎりまでふたりだけの暮らしを続けてこられたのは、ケアマネさん、ヘルパーさん、ソーシャルワーカーさん、在宅医療の訪問医と看護師さん等々、たくさんの人たちの支えがあったから。誠実で、何事も我が事のように一緒に考えてくれた皆さん。難しいふたりと上手にテンポを合わせてながら、いつも適切な助言をしてくれた。

時に、ふたりを訪ねてケアをする私の心が折れどうにもならない時も、話しを聞き、そっと見守り私に時間を与えてくれた。

ふたりに何かあった時にすぐ動けるように、何年にも亘り、介護施設研究所の担当者にもお世話になった。過去ふたりの生活に限界が感じられたことが何度かあったが、その度にあちこちの施設を一緒に回り親身に相談にのってくれた。にもかかわらず決断できず、自宅暮らしが続くというパターンを繰り返した。近づいたり離れたりするご縁の中、距離を保ちながらずっと伴走してくれていたことには心から感謝している。

そんな時間があったからか、昨年の夏、訪問医から「ふたりの暮らしが限界にきた」ことを伝えられた後の施設選定は早く、あっという間に入居施設が決まった。まさにその担当者のおかげだった。

横浜が好きで住み慣れた家からそう遠くない三溪園。ふたり揃って部屋が確保できたことも奇跡的だったが、薦めてもらったこの施設の介護スタッフには本当に助けられ救われた。

あらゆる観点から、人としての尊厳を大事にする介護。
介護施設での事件を耳にする昨今だが、志高く、家族以上に優しく寄り添ってくれる温かいスタッフたちに見守られながらの生活で、きっと伯父は心穏やかな時間が過ごせたのではないかと思う。

先週末この施設で伯父の葬儀を執り行った際、多くの介護スタッフの心に触れ、それをあらためて感じることができた。

入居初日から寄り添ってくれた男性スタッフが、涙を流しながら伯父への手紙を読んでくれた。そして、伯父と関わったたくさんのスタッフたちが寄せ書きをしてみおくってくれた。そこには私が知らない伯父の姿も多くあり、思わず微笑みがこぼれた。

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入居直前から意思の疎通ができなくなり、どんな風に思っているかずっと気になっていたけれど、伯父孝行できたかなと今は落ち着いた気持ちで過ごせる私がいる。介護スタッフたちのおかげだ。

人は必ずなんらかのメッセージを残して旅立っていくと聞く。
最後まで自身の体と心と闘った伯父の姿から、「子どもがいるいないに関係なく、自分の命は精一杯まっとうする」ということを学ばせてもらった。

伯父の生涯に労いのエールを送り、このブログに残し、私の最期の時まで私がしっかり忘れずにいることを誓おうと思う。そして、認知症を患いながらもずっと妻の伯母を案じていた伯父のために、これからは残された伯母を支え続けていくこともここに誓おう。

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昨年の年末から本当にいろいろなことがあった。
父、母、夫、私とインフルエンザに順番に罹り(予防接種をしていたにもかかわらず)、私が罹った翌日に父が肺炎から緊急入院し、一時は危ぶまれ慌て戸惑ったけれどなんとか回復。そんな時に伯父の容態悪化と旅立ち。

見えない大嵐に翻弄させられているような時間だった。
不義理をしてしまった方々もたくさんいる。

この場をお借りしてお詫びいたします。ごめんなさい。
日常に戻りつつあります。

それにしても、幼い時から手が届くところにいた人がいなくなってしまうこと、、、寂しい。

ありがとう。

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永森咲希

2018年1月29日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : admin

情報発信サイト シュフィール「Shufeel-主婦の悩みを専門家が解決-」の取材記事の掲載

5月から6月に亘り、情報発信サイト シュフィール「Shufeel – 主婦の悩みを専門家が解決 – 」に私が受けた取材記事が9回連載で掲載されました。
詳細は下記のURLをクリックください。

クリック ⇒ http://molive.biz/?page_id=7222

心理や心理支援について学んできた者として、また経験を重ねてきた当事者として、そして現代を生きる一女性として、不妊を取り巻くさまざまなテーマについてあらためて向き合った時間でした。

この取材記事が掲載されてふと、「5年後に同じ取材を受けたら、同じことをお話しするだろうか」という思いが浮かびました。
私が接する相談者の方も、学ぶことも今より増えるでしょうし、人として、女性としての人生経験も増えるわけで、また少し違った視点も出てくるような気がしたのです。電車に乗って目的地に向かう時、車窓の景色が変わるように、ものの捉え方や視点も変わるのも自然なこと。

今よりももっと当事者の方々にとって適したお話しができるようになるといいな・・・

長い時間をかけて取材記事をまとめ上げてくださったシュフィールの編集の方々、不妊についての学びを重ねてくださった担当の樋浦さん、ありがとうございました。

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永森咲希

2017年7月16日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : admin

梅ヶ丘産婦人科院長 辰巳賢一先生のエールインタビュー

◆ 梅ヶ丘産婦人科の辰巳賢一先生から、エールインタビューをいただきました

妊娠希望年齢が高齢化している現代、不妊治療をしている方はたくさんいらっしゃいます。
すべての方の願いが叶うのであれば、こんなに幸せなことはありません。
ですが、残念なことに、あきらめなくてはならない方々も多くいらっしゃるのが現実です。

希望があるからこそ、辛い治療も続けられるんですよね。
治療をやめるということは、希望を失うことを意味します。
辛くないわけがありません。

むしろ治療を続けている時よりも、あきらめることを決断する時期やあきらめてからの方がお辛いと感じられる方が多いのではないでしょうか。

ですが、なんとかご自分を奮い立たせ、自身の人生の意味や生きがいを見つけようと努力されていらっしゃる。そんなご様子を拝見し、「みなさんが次の1歩を踏み出すために、優しく背中を押してくれる”何か”はないだろうか・・・」と思いを巡らせたどり着いたのが、「エールインタビュー」でした。

患者さん(当事者の方)と関わる職務についておられる方々が、日頃どのような思いでいらっしゃるのか、また治療を終結せざるを得ない方や、子どもをあきらめた方々に向けて、どんなことを伝えたいと思っていらっしゃるのか。贈る言葉も含め、それをお聴きしたのがエールインタビューです。

今回は、梅ヶ丘産婦人科(都内の小田急線「梅ヶ丘」駅そば)の院長、辰巳賢一先生にインタビューさせていただきました。
日頃はなかなか伺えないドクターの思い、ぜひご覧ください。

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辰巳賢一先生のエールインタビューは ⇒ こちらをクリックください

永森咲希

2017年7月4日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : admin

「ちょっと大人のヴァイオリンとお酒の朗読会」

先日、友人のお店「季寄せ 蕎麦 柏や(三鷹)」で「ちょっと大人の ヴァイオリンとお酒の朗読会」なるものに行ってきた。太宰治の桜桃忌の朗読で、「朝」「失敗園」「桜桃」の3作品。

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太宰治と三鷹は縁が深く、太宰が1939年に三鷹に転居した後、1948年に玉川上水に入水するまでの約9年間、三鷹で作家として数々の作品を執筆した。

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私は「走れメロス」くらいしか記憶になく、しかも朗読を聴くのは初体験。ではなかったか。あった、小学校の時の国語の授業。クラスメートが順番にあてられ、それぞれがみんなの前で教科書を読む(朗読する)ことがしばしばあったことを思い出した。字面を追っただけの子どもの棒読みの朗読から、なんの情景が浮かんだだろう。

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店内は残席ゼロでいっぱい。今の店主岩崎氏のお婆様が、当時2軒隣に住んでいた太宰の愛人にお金を貸したまま入水されてしまったとか、そんな生々しいエピソードから始まったので、なんとも太宰を身近に感じながら聴くことができた。

美味しい太宰弁当(太宰が愛した若生昆布おにぎりは特に)とお酒をいただきながら、3名の朗読者の語りと落ち着いたヴァイオリンの音色に酔いしれた。

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そして、声や語りには「魂」が宿ることをあらためて感じた。無機質でなんの息吹も感じられない声や語りもある一方、まさにその情景が瞼の奥に浮かんでくるような語り。

私も講演させていただいたり、相談者の方とお話しさせていただいたりする機会があるけれど、無機質でぞんざいにならないように、目の前にいる方に「伝えよう」とする想い、「聴かせていただく」という思いが生きるように、丁寧であることを忘れずにいたいと思った夜だった。

太宰治作品、また読んでみたい・・・。

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演出・朗読 原 きよ さん
朗読 山東 けい さん
朗読 松岡明日香 さん
ヴァイオリン 新澤 秀子 さん
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永森咲希

2017年6月18日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : admin

引退する日

引退に向けて、宮里藍選手の日本最後のトーナメント「サントリーレディースオープン」最終日の今日、私は藍ちゃん、いえ、藍選手の勇姿を目に焼き付けるため、TV画面に釘づけになった。

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4歳からクラブを握り、2人の兄と共にゴルフの世界で生きてきた藍選手。若くてプロ入りした直後から「いじめ」という厳しい洗礼を受けたものの、表情に見せることなく黙々と腕を磨き、渡米。長いスランプに苦しんだ時期を経て、エビアン・マスターズで初優勝。プレーヤーでありながらも周囲への気遣いを忘れない優しさを持ち、自分には厳しい凛とした姿から、いつもオーラとぶれない信念、そして強さと清々しさを感じていた。私の尊敬する「人」。

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そんな藍選手の引退は、熱狂的な追っかけではない私にとってもとても寂しい。
「モチベーションの維持が難しくなった」のが引退理由とのこと。葛藤を感じてから4年模索した末の発表だったそうだ。プロになったのが18歳の時だとすると、13年間ひとつの世界で闘うことに集中し、エネルギーを向け続けてきたことになる。モチベーションの維持が難しくなって当然だろう。

自分を信じて一生懸命取り組んできたことから引退を決意することは、何事においても簡単なことではないはず。

「いつやめたらいいのか・・・」
「やめたら、どんな風に生きていくのか」

最後18ホールをプレーする藍選手の気持ちを思うと、私の方が先に泣けてきた。
落ち着いて1打1打を大事にするとてもいいプレーだった。

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“Where there is a will, there is a way.”
「意志あるところに道は開ける」  藍選手の座右の銘。

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どうか幸せな人生を。
藍ちゃん、ありがとう!

永森咲希

2017年6月11日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : admin