私の母の日

不妊治療を終わりにし、子どもをあきらめてから暫く、母の日になるとなんとも言えず心がざわついた。それはきっと、多くの感情に見舞われていたからだと今になってみて思う。

母がしてくれたように、私にもいつか訪れると思っていた「産み、育てる」ということができないこと。自分が生きた証を込めた襷を、我が子に托すことができないこと。連綿と続いてきた命のリレーが私で終わってしまうこと。みんながしていることができないこと・・・etc.

当時は”できない感” が募り、何に意味や意義を見出したらいいのかわからなくなっていたように思う。

母に笑顔で「ありがとう」を言いながらも、私の中の母性について意識させられ、生涯もらうことのない赤いカーネーションが眩しく見え、心の奥がひりつく母の日が続いた。

どう表現したらいいんだろう。
前にもどこかで話したことがあった気がするけれど、” 野球の試合中ずっとベンチにいる” ような感覚。

でも今、私はもうベンチにはいない。
私は、私の人生のプレーヤーとして、自分の試合に出場している実感がある。

ベンチから出られたのは、世の中にはたくさんの球場があり、その試合はどれひとつとっても同じではないということが実感できたからかもしれない。私は私の試合で、打って、走って、守ればいい。

昨日はそれをおしえてくれた母に、あらためて感謝を贈った。
Mom
母と私にとって80回目の母の日。久しぶりに手料理をふるまった。

私の母の日は、母へ感謝する日。そして、自分を大事に思う日。

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2017年5月15日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : admin